回想の「ホシヒデの過去」

忘れられない出来事

これは何年前の話だろうか?おそらく8年前くらいかな。以前勤めていた会社の上司が自らの命を絶つという出来事があったんです。とても辛い出来事でした。
この出来事から5年後、私は会社を辞めて個人事業主になりました。私が辞める伏線となった事件です。以下の文章は上司が亡くなった年の大みそかに、とあるSNSに投稿したものです。

大みそかにSNSに投稿した投稿文

箱根八里は馬でも越すが。越すに越されぬ大井川
雨は降る降る人馬は濡れる、越すに越されぬ田原坂

俺もこれを越えなければ来年を新しい気持ちで迎えられないような気がして、ここにカミングアウトすることで坂道を登りきろうとしています。

今年は、本当にいろんな事がありました。年明け早々から親父の大腸がんの手術、4月交通事故でむち打ち症に・・治療に9月までかかる。6月に食中毒で2週間ほど苦しむ。7月に10ミリ程の大腸ポリープが見つかり切除。8月に6月に入ったばかりの新入社員退職。同8月に可愛がっていただいた本社の上司が退職。社長との考え方の違いで揉めていた結果・・・。9月に娘が脊柱側弯症と言われショックを受ける。今はコルセットを付けて悪くならないようにしているだけの状態。

10月、大阪出張の日に駅に向かう途中、近所の神社の太鼓橋で躓いて左足親指を脱臼骨折。今現在も完治していない。歩くの不自由なのよ。信号の変わり目にダッシュできないので困ってます!まぁ、「これでもか」だったなぁ。5月が抜けて、4月から10月まで毎月続いてるのよ。でもね、本当は5月もあったの。俺ん中で一番大きな事件が・・・・・。

5月28日の朝、3年前に退職した元上司(前営業所所長)が営業所が入っているビルの屋上から投身自殺した。朝8時~8時30分の間らしい。俺はたまたま朝イチでお客さんのところへ行かなければならず家から直行したために詳細を知らない。営業所の事務の女性から運転中に電話が入り、初めて元上司の死を知った。

「ホシヒデさん、◯◯さんが亡くなったそうです」
「◯◯さんってどこの?」
「うちを辞められた◯◯さんです」
「えー、病気?」
「自殺です。飛び降りだそうです」
「どこで?」
「それが、うちのビルかららしいんです。さっき警察の方が来られました」

もう、なんと言ったらいいのか・・・・・。動悸がして、寒くなって、熱くなって、ボーッとして、いろんなことが頭を駆け巡って・・・・。

うちの営業所長を兼任している本社の上司、社長に報告を入れた。現在彼が勤めている会社に連絡を入れ、詳細の確認を行った。朝8時頃にその会社の上司にあたる人に彼から着信があったらしい。その時は電話に出られなかったそうで、それからしばらくして警察から電話が入ったそうだ。警察から電話があったのが8時30分ころらしいので、飛び降りたのは8時から8時30分の間・・・。普通であれば、俺は事務所にいる時間だ。正直ゾーッとした。血が引いたよ。

彼は勤めている会社の上司に何を言いたかったのか?ひょっとして俺に会いに来たのか?だったら何を言いたかったのか?どうしたかったのか?なぜうちのビルで飛び降りたのか?

彼が飛び降りた時間帯は、通勤時間でおそらくたくさんの人が見ている中で行われたと思われる。

もう、俺が会社に帰ってきた時、痕跡はすべて消されていた。テナントビルなので、変な噂が広まるのを警戒してるんだろうね。たぶん、ここかな?ってのはわかるんだけど何階からどんな状態で飛び降りたのか一切わからない。

うちの事務の女性も気が動転していて、詳しいことを警察にも確認していない。午後から具合が悪いと帰ってしまう始末。

俺も正直気分が悪くて、戻しそうだったが仕事はあるし事件を知ったいろんな人から問合せの電話がはいるし。帰りたくても帰れない。

でも、唯一救われたのは自殺の時間に俺が偶然にもいなかったこと。もし居たらどうなっていたか、もし彼が飛び降りる瞬間を目撃することになっていたら俺はもっと辛い思いをしていたに違いないってこと。俺と元上司は5歳違い。俺が5歳年下なんだけど、出会ったのは俺の前職の時。俺の前職は、知り合いと出資して作った会社だったんだけど9年間くらいは続いたからね。潰れちゃったんだけどさ。そん時に取引してたの。今の会社と。で、元上司と仲良くなって一緒に飲みに行くような仲になったのね。で、会社が潰れた時に「うちにおいで!」と言ってくれてね。若干・・・90万円くらいかな・・焦げ付かせてもいたので代物弁済ですって俺が今の会社に入れてもらったわけ。

俺は前職でのコネを生かして、お客・外注先も引っ張ってきたので俺が入社してからは右肩上がりで売上が伸びた。特に2004年から2007年までの4年間の凄まじさといったらなかったよ。彼が一人でやってた頃の4倍の売上になって、営業所員も彼と俺の2人から最高5人まで増えた。その頃からかな、彼が少しづつ変わり始めた。

何ていうのかな・・・周りからチヤホヤされるようになって、2人で・・ってのが、「俺が」になってきたわけね。単刀直入に言うなら「天狗になった」ってことだね。

いつも2人で協力しあいながらやってきていたのに、なんだか溝ができてきた。決定的になったのは、リーマンの年かな。うちも酷かったのよ。売上は激減して、補助金もらうために交代で休みとったり。いい時は、多少問題があってもなんとか進んでいくものなんだよ。でも、悪くなってくると途端に表面化してくる。それも大きな問題として・・・・。

営業所の売上アップの最大の功労者は俺です。でも、悪くなった最大の戦犯も俺です。俺の売上は営業所全体の6割を超えるようになった。でも、リーマンで被害が大きかったのも俺だった。一番痛かったのは年間4千万円注文を頂いていたお客さんが韓国と台湾に現地法人を作って現地生産に切り替えたため売上のほぼ全てを失った。

他にも倒産、統廃合等で見る見る俺の売上は下がっていった。そうなると、彼は本社から責められる。でも彼は為す術を知らなかった。当事者の俺もどうして良いのかわからなかった。どうして良いのかわからない彼は、保身に走るようになった。自分は売上は落としていない。ホシヒデが悪い。ホシヒデに対応を求めたが言うことを聞かない・・・と、報告を上げていたようだ。

妙なことも彼は口走るようになり、俺は長くは勤められないだろうなと思っていた。でも、癪だ。確かに俺は売上も上げられず。どうして良いかもわからない。しかし、今まで彼がいい思いができたのは俺の売上があったからだ。営業所員の管理も実質俺がやっていた。現に、彼が病気で2ヶ月ほど休んだ時も俺が全部やった。逆に彼がいるときよりも売上を上げた。

それが悪くなったらとたんにコンチクショウだよ。俺だってどうしたらいいのかわからなかったんだ。庇ってくれなくてもいい。昔のように一緒に考えてほしかったんだ。

俺はそのうちクビになるだろう。でも、自分からは絶対にやめないぞ。彼とは冷戦が何年も続いた。なかなか俺を首にしなかった。いつぞかの忘年会では、社長と取締役の前で俺がキレてしまい忘年会をパーにしたこともあったな。

社長は彼が保身に走っているのを見抜いていたようで、担当得意先の交代を命令してきた。俺のお客さんを彼が、彼のお客さんを俺が担当するってことなんだけどね。彼は最初「ホシヒデのやり方が悪いだけだ。俺がやったら売上を伸ばす」って言ってたらしいんだけど、結果は同じでね。

今度、彼が会社に居づらくなってきたんだ。俺は彼のお客さんの売上は一切落とさなかったよ。その頃からか、言い訳できなくなった彼は退職を考え始めたみたいね。俺らに会話はなかったから、退職を聞いたのは社長からだった。退職するまでの間、うちのデータを全部USBに入れてたみたい。最初は知り合い何人かと会社を作る画策をしていたみたいだけど物別れに終わって、最終的には一人で個人事業を始めることになった。

まぁ、うちの客を引っこ抜くつもりだったんだね。現に居るときから注文書の切り替えを勝手にやってたもんね。個人事業名に注文書を切り直して自分とこの売上にしてた。もう、一種の横領よ。証拠をコピーして上司にも渡したけど、何のお咎めもなし。このことが後々侮られる一因となってしまった。退職後、彼は次々とうちの客を取っていった。金額にして300~400万円分かな。痛かったよ。ただでさえ業界的に売上が悪い時期だったのにこのマイナスは痛かった。

社長からは「取られて悔しくないのか!取り返してこい」等・・まぁ、怒られたよ。不正の証拠も渡しているのに、あの時に頭を押さえていたら、この様な侮りは受けなかっただろうに。無策を全て俺に転嫁された。

会議で大阪に呼ばれては、クソミソに怒られ弁解すら認められず無能扱い・・・。彼は営業力があったが、お前にはない。自分の置かれている立場がわからないのか等々。もう、人間サンドバッグ状態。終いには、閉鎖するぞと脅しまで。お前と事務の2人だったら十分にやっていけるからこのまま潰すのは惜しいからお前やってみないか!・・・と、甘い言葉で丸め込まれて会社に残ってはみたものの実際には彼が辞めて1年間は地獄だった。

でも、俺は取られた客を取り返しにも行かなかった。上からは、かなり突き上げられたけどね。どうせ取り返しに行っても値段勝負の潰し合い。彼にとっても俺にとってもメリットはない。それよりも、彼を追い詰めないために取られても一切動ぜず彼の手が届かない顧客を作ること。新規開拓に力を入れた。彼が辞めた1年後には、取られた客の売上よりも多く新規顧客で稼ぐことが出来た。

新しいお客さんは、絶対に彼は手を付けることが出来ない。名も知れぬブローカーでは、古巣の顧客にちょっかい出すしかない。俺は、新しい顧客を増やし既存顧客をこれ以上取られないこと。この方針を貫いた。会社からは相変わらず取り返せとの指示があったけどね。聞かなかった。このようなことは言いたくないが、商売はある意味戦争でもある。彼が辞める時、俺はこう言われた。

「俺だってカスを食って生きることは出来ないからやらせてもらいますよ。当然の事ながら」

宣戦布告を受けていたんだ。潰すか潰されるか・・・だったんだよ。俺は彼を潰す気はなかった。俺にとって一番良い状態・・・それは、今のままの状態を続けること。彼は彼なりに生きられ、俺は俺なりに生きられる。俺はリーマン以降の彼は大嫌いだ。

でも、以前はいい人だった。いや、根本的にはいい人だと思う。持ち上げられ、チヤホヤされ徐々に道を狂わせただけ。彼は当初、俺を潰す気だったみたいだ・・・と言うより長持ちはしない。そのうち閉鎖になる。そうすればうちの客は全部自分に入ってくる。もしかしたら、うちの会社から再び引張りがあるかもしれない。

彼の誤算は俺が持ちこたえたこと。それと5年間赤字続きだった営業所を2年後には黒字転換させたこと。この事実を知った時、彼は顔面蒼白になったそうだ。

社長がどこから仕入れてきたのか、彼は仕事に追われ繁盛しているみたいなことを聞き、お前は悔しくないのかと何度も責められた。でも、平気だったよ。俺の考え方は間違ってない。確信があった。忙しい=儲かっているではないからね。

で、そうこうしているうち去年の今頃だった。彼が事業をたたむらしいとの情報が入った。その時、本意ではなかったが一瞬だけ「勝った」と思った。俺に憎しみを込めた声で彼が言ったあの言葉。彼は過信しすぎてたんだ。勝ったとは思ったけど、俺の勝利じゃない。

端からわかってたんだ。時間さえ稼げればこうなることは。彼は会社の中でこそ初めて力を発揮できた。経営的手腕はゼロだったもん。もし、その手腕があれば会社をやめることはなかった。

しかし、年が明けると同時に俺は脳天をかち割られるような衝撃を受けた。そう今年の仕事始めの日。うちの最も売上を頂いている大お得意様のところに彼が入社したとのこと。もう俺は終わったなと思った。だって、うちのデータ持ってんだよ。仕入れ値も売値も、外注先もシステムも全て。うちを潰そうと思えば赤子の手をひねるより簡単。うちへの注文をストップし、外注先と直接繋がればそれで終わり。

正直、時間の問題だったよ。座して死を待つより自分で終わろうと退職願を書いて、神戸で行われる親会社の新年会に胸ポケットに忍ばせた。社長に渡すつもりだったんだ。でも、先に親しい親会社の人間に見つかり破いて捨てられた。どうするつもりか彼に直接会って話してこい。辞めるのはそれからでも遅くないと言われた。

数日後、俺は彼に電話をして喫茶店で会うことになる。お互いに敬遠してたから、話をするのは彼が辞める時以来。3年ぶりってことだわね。

喫茶店で会った彼は、やつれていて目の輝きもない。言い方は悪いが「出涸らし」って言う言葉が一番合うような気がした。俺にあの言葉を吐き捨てた時の彼は居なかった。

いろいろ昔話をしたなぁ。本当に出会った頃に戻ったような今までのわだかまりが消えた瞬間だった。

彼にうちをどうこうしようという気は微塵も感じられなかった。仲良くやっていきたい。商売のマナーは守ると言ってくれた。それから俺と彼は仕入先とお客さんとして、少なくとも
悪い状態ではなかった。ただ、彼は以前のように明るく元気になることはなかった。共通の知り合いには「自分はうつ病だ」と言ってたらしい。

自殺未遂・・・というか、奥さんに「俺死ぬから」と出ていって20分後に帰ってきたこともあったそうだ。

その知り合いにこうも言っていたらしい。「もう一度辞めた会社に戻りたい。社長に相談してみようか」そうかと思うと「ホシヒデにしてやられた」みたいなことも言っていたらしい。

彼は遺書も残していない。自殺した原因は今もわからない。ただ、鬱が大きく関わっていたのは間違いないだろう。

俺はこの投稿で、自分は正しかったと言いたいわけではない。彼が間違っていたと言うつもりもない。お互いがもっと理解し合うことに努力していれば、この様なことにはならなかったと言いたいんだよ。貧すれば鈍する・・・まさにそれだね。相手を思いやる心、ゆとりすらなくなってしまう。お互いにね。

でも、生きてほしかったなぁ。病気であれば仕方ないにしても死んじゃいけないよ。どんなに情けない姿晒しても死んじゃいけない。どうせぞのうち死んでしまうんだ。自然の摂理でね。

だったら死に急ぐことはない。生きなきゃ。俺は死ぬのは怖いから死なないよ。高いところは苦手だから飛び降りないよ。痛いのは嫌だから刃物は使えないよ。苦しそうだから薬は使わないよ。天が決めた命が終わるまで、生き続けるよ。俺は、この出来事を忘れるため・・・いや、この出来事を忘れないため。大晦日の今日、ここに投稿した。

 

今思うこと

今も思うと胸が痛くなります。この文章を読むと当時の自分自身の醜さとゆとりのなさを感じます。なんだ言いながら「自分は悪くない!」と主張しているわけです。心無い人からは彼が亡くなったのはお前のせいだ!と陰で散々言われていたので、ものすごく心がすさんでいました。一生懸命自分の正当性を主張していますよね。

なぜこんな醜く恥ずかしい文章をこのブログに投稿したかと言うと、あなたにも考えてほしかったからです。当時の私は会社で疲弊して家族にとっても良い夫、良い父親ではなかったと思います。「家族の為にガマンして働いているんだ!」・・そんな私の傲慢さが家族にも伝わっていたと思います。

人間生きていくためには多少の苦労やガマンは必要です。でも限度を越したら自分自身が破壊されます。家族のためにとやっていることが結果家族をも苦しめてしまいます。

会社の経営環境というものは年々厳しくなっています。そこに勤める人たちの労働環境も悪くなってきているように思います。上司の死から5年後、私はその会社を退職します。いや、そうなる様に会社に仕向けられたのですが、結果として良かったと思っています。もし、あのまま勤めていたら・・・もう私も限界だったんです。壊れる一歩手前だったんです。

正直、あの扱いには腹も立てました。でも、あの時点で辞めていなかったら・・・私も危なかったかもしれません。サザエさん症候群にはなりませんでしたが、月曜日の早朝・・・いや、夜中かな?になると、夢でうなされて目ざめてしまい、それから眠れなくなってずっと仕事のことを考える・・堂々巡りなんですが毎週のことです。

もう会社が嫌で嫌で。辞めたいんですが家族の生活を考えると勇気が無くて・・・。本社の会議に行けば毎回人間サンドバッグ。そんなことを5年間も続けていたんです。上司とドンパチやってた期間も入れれば10年以上も心の中は鬱々していた訳です。とっとと辞めればよかった。でも、それが出来なかったんです。中途半端な責任感と言う名の自己弁護と会社を辞める恐怖感。

しかし、ハラスメントとはいえ結果として私の背中を会社が押してくれたわけです。いつも私はバンジージャンプに例えます。バンジージャンプは飛ぶまでが一番怖い。でも、自分の意志であろうと、他人に蹴とばされたのであろうと飛んでしまえば恐怖は飛ぶ前よりもくらべものにもならない。飛ばなきゃ見えない景色、飛んだからこそ初めてわかることもある。

思ったよりも難しいことはなかった・・・それが正直な私の気持ちです。

あの頃の私は本当に醜かった。今は会社という後ろ盾が無くなって違う意味で大変ではありますが、少なくも人間らしくは生きることが出来ています。

私は決して無暗やたらに退職を薦めているわけではありません。ただ、心と体を壊すくらいなら・・そんな状況なら思い切ることも大切だと言いたいのです。その為には出来るだけ早く副業レベルでスキルを身に着け、いつでもシフトできる状態にはしておく必要があると思います

再就職しようにも、なかなか条件に合うところはありません。ましてや40歳も過ぎると求人も少なく選択の余地がありません。また、仮に再就職できても結局は同じ道を歩む可能性が高いです。なぜなら前にも言った通り経営環境が厳しくなっているので、必ずそのしわ寄せは社員に来るからです。貧すれば鈍する。ゆとりのないところには必ず争いやイジメが蔓延ります。

もうそんなのは真っ平ごめんですよね。だからこそ、自分で起業すべきなんです。スキルを身に着けて、一人社長で楽しく仕事をすべきだと思うんです。責任は全て背負わなければなりませんが、少なくとも訳の分からん人間に理不尽な扱いを受けることはありません。仮にサラリーマン時代より収入が下がったにしても精神衛生上どれだけ良いか比べるまでもありません。

家賃や車代や生活費にしても、ある程度のものは経費扱いに出来ますしね。備えあれば患いなし!たった今から備えてくださいね。

 

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